明日は久々の外出

こんばんは。最近書く頻度が落ちているのはしんどいのもあるし、元々飽き性であるのも関係してます。書かなきゃと思ってしまうと億劫になってしうんですよね。誰にでも当てはまることだと思うんですけど、〇〇しなきゃって感じる時点で自分の中では負の感情が湧いちゃいますよね。動機が自分以外の要因にあるとモチベーションがガクンと下がります。いや何当たり前のこと書いてるんだ。


明日は久しぶりの外出です。通院とバイト以外では本当に久しぶり。いや明日は通院も兼ねてるんですけどね、夜ご飯を食べに行きます。同期なんですが大学なんで同期でも3つほど歳の離れた子で、同じ研究室です。恐らく私があまりにも学校に来ないんで教授が頼んだのかなとちょっと疑ってますが、私の状態を大方知っていて、本来の歳よりかなり人生経験豊富な子なんで深い話ができるかなと楽しみにしています。少し怖いですけどね。

ドタキャンだけはしないようにしないと。

1週間ほど?

1週間ほど体調が優れなくて寝てばかりの日々でした。日付の境がわからなくなるくらいうつらうつらしていた日もあれば全く寝れなかった日も。それだけで気分が滅入っちゃいます。というか頭が痛くて起き上がれません。

今日も夕方まで寝ていました、そろそろ大学に行かなきゃ卒業できないですね。9月は皆心配してくれたのか一気に予定が入りました。だから体調しっかりしないと・・・

しんどい

うう、今日はしんどすぎて昨日一昨日みたいな長文を書く気にはなれない。前半飛ばしすぎて早速息切れするいつもの悪い癖です。

ODしないようにと昨日は睡眠薬飲まなかった(と思いますあやふや)せいか朝まで寝れませんでした。午前10時頃力尽きるかのように昼寝、最後の力で1時間後に設定したアラームを華麗に無視して3時間後起きて愕然としました。病気になる前から眠りは浅い方で目覚ましも絶対起きれる自信があったのに最近は1度寝てしまうと起きれるか不安です。予定がある日はそのせいで前の晩から寝れないこともしばしば・・・これじゃおちおち人と約束できません。ドタキャンも数回やってしまってるしドンドン人としてダメな方向に行っちゃってます。辛い。

早く悪循環から逃れたいものです、このループどうやって抜け出せばいいんでしょう。

あれから1年

ドーモ、ミホです。

昨晩の私はどうやら睡眠薬をODしていたようで、今日の午前中などの記憶も曖昧でした。ODしても眠れない中なぜブログを開設したのか疑問ですが多分文が書きたかったのですね。昨晩の私の意思を汲んで頑張って続けたいと思います。でもODはそろそろやめないとね。

 

自己紹介と称しうつ病のきっかけだけ書き昨晩は飽きてしまったようです、本当に続くのかこのブログ。

去年の6月から大学に行かなくなり、もう1年以上経ってしまいました。あれから私は院への進学を諦め、2014年度は休養することに専念しました。2015年3月から2015年度卒の新卒就活が始まるので、それまでゆっくりしようと。本当にゆっくりしていました。週に1回の塾講師のバイトだけはなんとか続け、他は一日中寝ていることもあれば、ニコニコ動画を見たり、本やマンガを読んだり。家から出ていくことはバイトと通院以外ほとんど無かったです。

もちろん焦りました。周りの友だちは順調に卒業、就職進学しているのに何故私だけ立ち止まっているのかと。行けなくなった研究室の同期は皆私以外ちゃんと実験して成果を出しているのに何故私だけ家で寝てばかりの生活をしているのかと。Twitterで大学の友だちの活躍を見るたびに心が荒み、やがて見るのをやめて親しい友だちとも連絡をとらなくなりました。私の事情を知っているのは一握りの友だちだけで、他の子には学科などが違うことを利用して順調に研究している振りをしていました。

 

自分が情けなかったのです。周りは立派に行動しているのに、一人立ち止まっている私を知られたくなかったのです。3年生までは単位を落としたこともなかった、今まで20年ほど順調に人生を歩んできたのに、こんなことで脱落してしまうのかととても悔しかったです。休んだばかりの私は本当に人生が詰んでしまった気分でした。研究もせず就活もせず、例え1年留年して卒業したところで大学で躓いた私を拾ってくれる企業なんてあるわけない、恋人など無論いないので縋ることも出来ない、このまま親が死ぬまで脛をかじり続けるのかとどん底の気分でした。

 

それでも周りは暖かったです。家族は誰も責めず、大学側も違う教授を介して2015年度から研究室を変えてくれました。友だちに打ち明けるときは怖かったですが理解してくれました。私の視野が狭いだけで、周りはちゃんと病気のことを理解してくれていて、偏見も持たずに接してくれました。気分がいいときは遊んだりして、「全然前と変わらないよ」と親友に言われ驚いたことを覚えています。今思えば家で一人塞ぎこんでいるより外に出て遊んでいる方が良かったのかも。

そうこうしてるうちに今年の3月になり、快方に向かっていた私は就活を始めました。こんな私なんて、と僻んでいましたが外から見える病気ではないので、デパスやリーゼの力を借りて5月くらいまでは就活を頑張っていたような気がします。なんと内定もいただきました。(当時調子に乗っていた私は断ってしまいましたが)

しかしあるとき面接で、留年の理由と今まで一番挫折したことを聞かれました。留年の理由はちゃんとそれっぽい答えを用意していましたし、挫折の経験や克服を聞かれることも珍しいことではありません。でもそのとき私はなぜか本当のことをしゃべってしまいました。

 

今が一番の挫折です、と。自分はうつ病です、と言ってしまいました。部長クラスの社員さんと面接なのですが、一番端にいた人事部の若い方が天を仰ぐのを目の端に捕えました。瞬間私は言ってしまったことに気づき、慌ててフォローの言葉を続けましたが人事部の方は曇った表情のまま、他の部長さんたちは顔色変えずに面接が終わりました。

志望度が高かった企業なのですが、もちろんお祈りされました。自分の馬鹿さ加減に呆れて悔しくて、元気になったつもりだったのにまた崩れ落ちてしまいました。

どんな企業も元から精神疾患がある社員なんて雇いたくない。それはもちろんわかります、誰だってそう考えます。だけど、精神疾患がある側に回るとそれはとてもひどい仕打ちに思えてくるのです。私個人を見ずにうつ病というレッテルだけで企業は落とします。言わなければわからないことですが、健康診断書などでバレたらおしまいだ、入っても保険を使うときにうつ病の薬を飲んでいるとばれてしまう。どうせ雇ってくれるところなんてない。またもやどん底に落とされた気分で就活からどんどん遠のいてしまいました。

 

自分で自分の首を絞めていますね。たった一回の失敗なのに病気というレッテルがこんなにも重い物と知らずに就活した結果が今です。今はすっかり1年前の生活と元通りです。家から出ずニート生活をしています。そしてそんな自分に嫌気が差してODしたり親に迷惑をかけています。本当に馬鹿です。書いていて改めて思います。結局私は世間知らずの甘ちゃんで、一回こけただけでぴいぴい引きこもっている子どもです。

もう自分で自分を変えなければいけません。前からそうだったのです。いくら周りが支えてくれようと励ましてくれようと否定してきたのは他でもない私自身です。自分で自分を認めない限り進めない、文にしてようやく何か掴んだような気がします。

歯切れが悪く申し訳ありませんがここまでにします。そろそろ行動するときが来たようです。

ブログ開設のきっかけ

 

 

うつ病患者の日記

はじめまして、ミホと申します。

 

ブログ開設など中学生のときにノリで作った以来ですが、今回のブログは真面目に続けていきたいと思います。

まず自己紹介とブログ開設のきっかけですね。

私はうつ病と診断されています。大学4年生のことでした。入学当初から漠然と大学院までは進みたい、折角の理系なのだから研究を長くしたいと思っていた私が、まさか研究が始まろうとする4年生にうつ病となるとは、自分でも予想できなかったです。

あまり書くと特定されそうなので慎重に書きます、わかりにくい点があると思いますがご了承ください。最初私は他大学の院を志望していました。自分の大学には興味を惹かれる研究がなかったこと、私の本当にやりたいことをかなりピンポイントに押えた研究室が他大学にあること、これだけで私は4年生は我慢の年だと決意し院試に合格できるよう準備もしてきたつもりです。

しかしこの我慢の年だと思い入った研究室は、お世辞にも人間関係があまりよろしくなく、更に他の研究室の上級生からは隠れブラックラボと呼ばれるほどの忙しさでした。研究室に入った当初は例え1年で終わる付き合いかもしれないけれど、周りと打ち解けようと頑張っていたと思います。参考文献と渡された膨大な量の論文もなんとか読み、自分の研究計画をまとめていっていました。2014年5月あたりのことです。6月頭に計画発表を迎え、見事にボロクソに批判されました。教授は我々学生に指導者として接するのではなく対等の研究者として扱ってくれている。頭では理解できてもあまりの辛辣な批判に心が折れかけました。そこから私は研究室に行くのが怖くなっていくのです。

研究室には必ず教授がいるし、他の学生さんもいる。そして上に述べたとおり人間関係が悪く、例えば午後5時頃に帰った人のことを「碌な仕事もしてないくせによく平気で帰れるよね」の悪口は当たり前、他の学生の研究計画や論文紹介も「時間の無駄」とバッサリ切り捨てたり。この研究室の人たちはお互いを中傷・批判しなければ生きていけないのかと疑うほど毎日どこからか文句を言う声が聞こえてきした。普段私は人気が少ない機材が多い部屋で研究しており、一人になる度に隣の部屋では今まさに私の悪口が言われているのではないのかと思うと実験にも身が入りませんでした。

研究室での居場所がどんどんなくなっていく中、私はある恐ろしいことに気付いたのです。もし他大学の院試に失敗し、あと2年間この研究室にいなければならないことになったら。元々あまり興味の無い専攻でしたし、研究室を決めるときは他大学に入る自信がありましたので、この研究室も1年の我慢だと割り切って入った所です。

しかし、もし院試に落ちたら?2年も辛い場所で耐えられるのか?考え始めるともう止まらなくなり学校に通うことが困難になってきました。あまりにも学校にいなさすぎると研究室の皆にばれてしまう、それでも体は既に学校へ行くことを拒否していました。

そのあと家族にも迷惑をかけてしまう事態を起こし、遂に自分はどこかおかしいのではと気づき精神科心療内科にかかることになりました。その場でテストのようなものをさせられ、即うつ病と診断されました。これが2014年6月下旬の出来事です。

 

重い話で申し訳ありませんが、これで自己紹介とさせていただきます。その後約1年どう過ごしていたのかは追い追い書いていければと思います。

さて、ブログを始めたきっかけですが、まず自分の気持ちの整理を文章としてつづっていきたい、またまだまだうつ病について厳しい世の中ですがある一人のうつ病患者としての考えをつづっていきたいと感じたからです。

初っ端から読みにくい記事で申し訳ありませんが、三日坊主にならないよう努力しますのでよろしくお願いします。