ブログ開設のきっかけ

 

 

うつ病患者の日記

はじめまして、ミホと申します。

 

ブログ開設など中学生のときにノリで作った以来ですが、今回のブログは真面目に続けていきたいと思います。

まず自己紹介とブログ開設のきっかけですね。

私はうつ病と診断されています。大学4年生のことでした。入学当初から漠然と大学院までは進みたい、折角の理系なのだから研究を長くしたいと思っていた私が、まさか研究が始まろうとする4年生にうつ病となるとは、自分でも予想できなかったです。

あまり書くと特定されそうなので慎重に書きます、わかりにくい点があると思いますがご了承ください。最初私は他大学の院を志望していました。自分の大学には興味を惹かれる研究がなかったこと、私の本当にやりたいことをかなりピンポイントに押えた研究室が他大学にあること、これだけで私は4年生は我慢の年だと決意し院試に合格できるよう準備もしてきたつもりです。

しかしこの我慢の年だと思い入った研究室は、お世辞にも人間関係があまりよろしくなく、更に他の研究室の上級生からは隠れブラックラボと呼ばれるほどの忙しさでした。研究室に入った当初は例え1年で終わる付き合いかもしれないけれど、周りと打ち解けようと頑張っていたと思います。参考文献と渡された膨大な量の論文もなんとか読み、自分の研究計画をまとめていっていました。2014年5月あたりのことです。6月頭に計画発表を迎え、見事にボロクソに批判されました。教授は我々学生に指導者として接するのではなく対等の研究者として扱ってくれている。頭では理解できてもあまりの辛辣な批判に心が折れかけました。そこから私は研究室に行くのが怖くなっていくのです。

研究室には必ず教授がいるし、他の学生さんもいる。そして上に述べたとおり人間関係が悪く、例えば午後5時頃に帰った人のことを「碌な仕事もしてないくせによく平気で帰れるよね」の悪口は当たり前、他の学生の研究計画や論文紹介も「時間の無駄」とバッサリ切り捨てたり。この研究室の人たちはお互いを中傷・批判しなければ生きていけないのかと疑うほど毎日どこからか文句を言う声が聞こえてきした。普段私は人気が少ない機材が多い部屋で研究しており、一人になる度に隣の部屋では今まさに私の悪口が言われているのではないのかと思うと実験にも身が入りませんでした。

研究室での居場所がどんどんなくなっていく中、私はある恐ろしいことに気付いたのです。もし他大学の院試に失敗し、あと2年間この研究室にいなければならないことになったら。元々あまり興味の無い専攻でしたし、研究室を決めるときは他大学に入る自信がありましたので、この研究室も1年の我慢だと割り切って入った所です。

しかし、もし院試に落ちたら?2年も辛い場所で耐えられるのか?考え始めるともう止まらなくなり学校に通うことが困難になってきました。あまりにも学校にいなさすぎると研究室の皆にばれてしまう、それでも体は既に学校へ行くことを拒否していました。

そのあと家族にも迷惑をかけてしまう事態を起こし、遂に自分はどこかおかしいのではと気づき精神科心療内科にかかることになりました。その場でテストのようなものをさせられ、即うつ病と診断されました。これが2014年6月下旬の出来事です。

 

重い話で申し訳ありませんが、これで自己紹介とさせていただきます。その後約1年どう過ごしていたのかは追い追い書いていければと思います。

さて、ブログを始めたきっかけですが、まず自分の気持ちの整理を文章としてつづっていきたい、またまだまだうつ病について厳しい世の中ですがある一人のうつ病患者としての考えをつづっていきたいと感じたからです。

初っ端から読みにくい記事で申し訳ありませんが、三日坊主にならないよう努力しますのでよろしくお願いします。