3ヶ月の空白

ご無沙汰しています。本当にご無沙汰しております。生きています。

3ヶ月超を超える放置。これは遂に三日坊主の本領が発揮されたなと思われても仕方ありませんね。けれどもここ3ヶ月で私は一歩、いや二歩三歩ほど前進したような気がします。

 

まず、生活面。一番大きく変わったところといえば、大学に行けるようになったことです。きっかけは母と約束していた映画。は?映画?と思われるようですがまぁ聞いてください。

 

10月末くらいでしょうか。とある映画のシリーズ最新作が公開され、私も母も大ファンだったため見に行こうという話になりました。ケチなお家なもんで、女性の強い味方レディースデイ、水曜日に見に行こうということに。しかし私の体調はそれこそ当日になってみないとわからない不安定なもの。もちろん母もそのことは重々承知しています。なので、いつもなら水曜日当日になって体調がいいと判断してから、映画館に行きチケットを取るはずなんですけど、あの日の母は違いました。前もってクレジットカードで決済して予約するから、前日夜寝不足でフラフラだろうが気分が悪かろうが這いつくばってでも来い、じゃないと金が無駄になる、と言い放ちました。いつからそんな鬼ババアになったんだと思いました。口には出していません。

そして、当日、いつも通り睡眠時間が3時間弱の私はフラフラしながらも繁華街に出向き、母と合流し映画を鑑賞しました。元々原作のファンでしたが、こんなに戦闘シーンあったっけ?と思うほどのアクション映画でした。面白かったんですが、映画見ただけで私はげっそり。その後買い物しようとする母を止め家へと帰るバスへ乗り込みました。

バスの中で、母が突然「やればできるやん」と言い出しました。いや金が無駄になるから這ってでも来いといったのはどこのどいつだと思ったんですが、「荒療治やったけど、あんたの性格を利用させてもらった」と母は続けました。

 

 

私は小さい頃から、『人の役に立ちたい』をモットーに生きていました。しかし成長するにつれ、誰かの役に立つほどの力もスキルもないとわかった私は『せめて人に迷惑をかけないで生きたい』をモットーにしました。自分のことはなるべく自分で。私にやれることなら手伝いたい。人の手を煩わせたくない、ましてや他人が損する、困らせるような事態は引き起こしたくない。人間誰しも一人で全てをこなすのは無理ですし、それこそ山に住んで自給自足し他人との接触を完全に断ち仙人のように生きない限り、誰かのお世話になる場面は出てきます。しかしそれでもなるべく迷惑をかけたくない。中学から高校にかけてそう思うようになり、今までずっとこのモットーを自分の根っこにして生きてました。今振り返ると、この頃から自分の首を絞めるような生き方をしてたんですね。

で、話は戻り母の言った荒療治とは、母に迷惑をかけたくない(母のお金を無駄にさせるわけにはいかない)という私の考えを見抜いて、敢えてクレジットカードで先払いにすることで私を動かせたんですよね。いや結局奢ってもらってるやん?というのはさておき、見に行かなかったら母の1000円をドブに捨てたようなもんですから。なんとまぁ母らしいやり方だと思っていると、「教授に頼んで、この日に絶対来い、って指定してもらいな」と提案されました。今まで教授にメールする機会はあったんですが、「この日とこの日以外は学校にいるから、体調が良い日に君のタイミングでいつでもウェルカム」と言ってくれる菩薩のような教授でした。そうすると、怠惰な私だからずるずると行かない日々が続いていたんですね。そこを、敢えて教授に時間を取ってもらい、決まった日にちの決まった時間に行かないと予定を開けてくれた教授の時間を無駄にすることになる、と自分を追い込め。と母は提案したんです。菩薩の発想ではそうはいかない、鬼の発想。

しかし私にとっても目から鱗でした。いや、うつの人に無理矢理動け、というのは危険です。ですがその頃の私には、「また今日も学校に行かず何もできず一日が終わってしまった」という罪悪感がつきまとっていました。夜になると決まって「また今日も学校行かれへんかった……」と毛布に包まりウジウジする私を毎日のように見ていた母ならではの発想です。

 

というわけで、メールでその旨を伝え(それでも菩薩教授はハッキリとした時間指定はしてくれませんでしたが、母と相談しこの日時に絶対行くと決めました)11月初旬、学校へ行くことに。抗不安剤、お水、汗拭きタオル、周りの騒音をシャットダウンしてくれるウォークマン、いつもは適当に括っている髪も下ろし、マスクをして知り合いに会ってもなるべく気づかれないように。フル装備で向かいました。

すんなり学校に着きました。あれほど恐れていた学校とは何だったのか。知り合いに会わなかったのが幸いでしたが、自分でも拍子抜けするほど普通に学校に着きました。ぽかーんとしたまま教授に会いに。教授も本当に来るとは思っていなかったのか慌てて今後についての相談を始めてくれました。今年度中に卒業はできそうなこと、教授が実験に必要なサンプルのお世話をやっていてくれていたこと(これは本当に申し訳ないと思いました。今でもたまに私が行けないときにお世話してくださっているようです)など簡単に相談し、今からでも大丈夫だよと言ってくれました。後光が見えました。帰り道、ようやく学校へ行けた、一つ難関を乗り越えたと実感し涙目になりながら歩いたのを覚えています。

 

そんなわけで、あっさり学校へ行くことはクリアしました。次の難関は、研究室の同回生(といっても私が一留しているので一個下の学年の子たち)や先輩と顔合わせすること。今では大分マシになりましたが、心の中で声が聞こえる現象はそのときはまだ残っていました。「今からのこのこ来て簡単な実験して卒業しようだなんて」「ゼミにも出てなかったくせにこいつには単位をあげるのか」「良くこのタイミングで来れたな」誰も私を非難しませんが、恐らく大体の事情を知っている研究室の皆はここまでひどいことを思ってもいないとわかっているんですが、頭では理解できても心の中でそういう非難する声が聞こえます。自分で自分を責めるのは中々直りません。それでも今から卒業研究するには必ず研究室の皆と顔を合わせないといけない。最初の内は菩薩教授も考慮してくれて人気が少ない早朝などに研究企画についての話し合いなどしてくれましたが、いつかは絶対皆の前に出なくちゃいけない。

 

じゃあまた荒療治だ。皆が出席するゼミに出ればいい。ということで出ました。ゼミという名の進捗報告会なんですが、私は進捗も何もお久しぶりです~くらいしか言うことが無かったのですが皆の反応は普通でした。スルー。良く来れたね~とかもなし、普通にスルー。この対応が逆にありがたかったです。あ、他人への関心てこんな程度か、と。きっと皆の感想は今までいなかった奴がこれからちょくちょく来るようになるんだなー、ふーん。くらいだったんでしょう。自分が思っているほど他人は自分のことを見ていない、というのは耳にタコができるほど聞いた話ですが、本当なんだな、とホッとしました。それより皆は自分のことで精一杯。実験が上手くいかなかったんです~と助言を求める子や、先週はあんまり活動できてませんでした今週は頑張りますえへへみたいな報告をする子、様々でした。何もずっと張りつめて頑張っていかなきゃいけないわけではない、という雰囲気でした。……前の研究室ではありえない雰囲気でしたけど。

というわけで、荒療治で意を決してゼミでお久しぶりですとまとめて挨拶できたことにより研究室の居心地も大分良くなりました。やったぜ。

12月に入った今、そろそろ卒論という文字が迫ってきているんですが菩薩教授が大丈夫だよと言ってくれたので大丈夫なんでしょう。

今でも起き上がれない、という日はあります。理由なく落ち込み部屋に引きこもりご飯も食べない日もあります。お薬に頼りっぱなしの一週間とかもあります。しかし、減ってきていることは確実です。多少外に出て疲れた方が眠れることもわかりました。学校帰りに大好きなアニメショップをぶらぶらして楽しむ余裕もできました。3ヶ月前より前へ進んでいる、と思っています。

 

生活面の進歩の話で今回は終わってしまいましたが、精神面、考え方にも少しずつ変化が出てきたのでまた近いうちに書き込みたいと思います。長い駄文読んでくださりありがとうございました。